14年間のコード:構文から影響へ
14年。長い。たいていの企業では5年から8年で「シニア」と呼ばれる。自分はその倍近くやってきた。犬年に換算すれば一生分だと冗談を言いたくなるけれど、本当のところ年数そのものはどうでもいい。
今の自分の役割は、コードを速く書くことじゃない。経験でプロジェクトが沈むのを防ぐことだ。今日は最新フレームワークの話じゃなくて、この14年で自分が仕事としても人間としてもどう変わったか、それを書きたいと思います。
「どう書く」から「何を、なぜ」へ
最初の頃はシンプルでした。自分の価値は、機能をどれだけ早く出せるか。どの言語にどれだけ習熟しているか。わかりやすい基準でした。
今は違います。技術力は上がっている。でも実際にコードを書いている時間は減っている。
仕事が変わりました。コードを書くことより、問題全体を理解して一番シンプルな解決策を見つけることの方が重要になった。それに学んだこともある。エレガントなコードより、後で問題を起こさないコードの方が価値がある、ということ。ウォーターフォールからDevOps、SREまで、さまざまな潮流を見てきたけれど、最終的に行き着いたのは単純な事実です。運用の品質とサプライチェーンのセキュリティは、コードそのものと同じくらい重要。
後半7年でわかったソフトスキルの価値
最初の7年がハードスキルを磨く期間だとしたら、後半の7年はソフトスキルの価値に気づく期間でした。技術力は土台です。でも、それだけではチームで良いものは作れない。
「スタープログラマー」のエゴは手放しました。チームの不満に耳を傾けること。自分が助けを必要とするタイミングを知ること。こういうことの方が、肩書きよりずっと実用的だとわかりました。
生き残るためにジュニアでいる
皮肉な話です。14年たっても通用するには、意識的にジュニアでい続ける必要がありました。謙虚さと好奇心を、意識的に保ち続けるということ。
陳腐化のリスクは現実です。AIもクラウドも、新しいものに手を出さないのは、試して失敗するより危険です。「全部は知らない」と認めること。これが、シニアキャリアを殺しがちな停滞と傲慢に対する一番の特効薬でした。
燃え尽き、境界線、価値観
きれいな話ばかりじゃありません。燃え尽き症候群の淵も覗きました。慢性的な疲労。プロジェクトに対する冷笑。無力感。この業界では珍しいことではありません。
苦労して学んだことがあります。
生産性は長時間労働とイコールではありません。境界線を引く必要がありました。週末や夜に働くのは名誉でも勲章でもない。計画が悪いか、文化が有毒か、どちらかです。
それから価値観も変わりました。肩書きや給与のような外発的な動機から、自律性、柔軟性、目的といった内発的な動機へ。今は、硬い組織に忠誠を誓うより、面白いプロジェクトに柔軟に関わる方を選んでいます。
見えない柱
結婚してまだ1年です。でも、この人は自分が値しないほどの忍耐を見せてくれています。笑うこと、出かけること、楽しむことが好きな人です。仕事を応援するメッセージを送ってくれるたびに、顔がほぐれます。
夕食中も頭の中でコードをデバッグしていた夜。ストレスで自分が自分の遠いバージョンになっていた時期。仕事が彼女の時間を奪った瞬間。そういうものを、彼女は耐えてくれました。
十分な時間を返せていないと感じることはあります。でも、彼女は自分が想像していた以上にこの世界を理解してくれています。コードの外にも人生がある、と思い出させてくれる。それに代わるものはありません。
経験という羅針盤
14年たって、成功の定義が変わりました。一番たくさんコードを書く人になりたいわけではありません。いつコードを書くべきでないかがわかる人でありたい。経験が教えてくれたのは、時には一番シンプルな答えが正解だということです。
もしあなたがまだ旅の途中にいるなら、これだけ覚えておいてください。テクノロジーは明日変わります。でも、適応し、コミュニケーションを取り、自分と大切な人を大切にする力だけが、何十年もこの世界に留まらせてくれます。